福田愛子「なりたい未来の姿をみつけて、その者となる。背景のストーリーに命を吹き込むイラストレーション」

福田愛子

自分を愛すのは難しい。でも、自分自身の内なる価値に気づけていないだけだとしたら?ひとりひとりがスペシャルな存在。
VERMILLIONのコンセプトである”IDENTIFY JEWELRY”を体現する、自分を表現して生きる人へのインタビュー。

第二回目は、VERMILLIONのオラクルカードのイラストを描いてくださった、日本と海外を拠点に活躍するイラストレーターの福田愛子さんにお話しを伺います。

福田さんは、グラフィックデザイナーになるために単身渡米してアメリカの大学で学んだ後、日本で就職活動をする中でイラストレーターとして生きていきたいという幼い頃の夢に気づいたといいます。現実との折り合いで夢を諦めていく人が多い中で、福田さんは夢を追い続けて実現することができました。福田さんの体験を通して、自分らしく生きるとは何かを探っていきます。

就活の失敗がイラストレーターになるきっかけを与えてくれた

―いつから海外を視野に入れて働くことを意識されていましたか?幼少期のことなど、何か興味をもったきっかけがあれば教えてください。

物心ついたときからファッションが好きで、ファッションからストリートカルチャー、そして音楽へと興味が広がっていきました。中学のときはカリフォルニアのパンクが好きでよく聴いていたんです。私は、当時から海外のストリートカルチャーやグラフィティに興味があって、同じジャンルに興味があった親友とは情報交換をしていました。

―その後、グラフィックデザイナーを目指して渡米したとのことですが、どう考えてその決断に至ったのでしょう?

自分としては、失敗だらけの人生だったんです。ファッションデザイナーを目指すぐらい、一時期はファッションに陶酔した学生時代でした。ただ、ファッション系の仕事につきたいと思ったときに、ファッションデザイナーやスタイリストぐらいしか職業を知らなかったので、文化服装学院が主催する高校生向けのデザイナーを体験するワークショップに参加してみたんです。そしたら、服のデザインが全然思いつかなかったのと、日本全国から集まってきたセンスのいい人たちの姿に圧倒されて、早々にデザイナーになる夢は諦めました。

当時は美大に行けるデッサンスキルもなかったので、一般大学を受験して、そこからアルバイトをしながらその道に進むことを考えました。ところが、結局大学に落ちてしまって。

そんなときに届いた留学の冊子に、グラフィックデザイナーの方の女性のインタビューが載っていたんです。それを見て、ファッション系の雑誌でグラフィックデザイナーとして仕事をする道があるかも、と思い立ちました。

もし留学をしなかったとしても浪人することは決まっていたので、日本で浪人するか、とりあえず英語が全くできないけれどもアメリカで頑張ってみるかの二択でした。不安よりもチャレンジしたい気持ちの方が勝っていましたね。

留学エージェントの紹介でテキサス州にある厳格なクリスチャンの大学に行くことになって、無宗教&アジア人ということで、差別やキリスト教への勧誘の日々で胃腸炎になってもう大変でした(苦笑)。その後大学の授業にも宗教色が逐一刷り込まれていたり、まさかのグラフィックデザイン学科が大学にないことも判明して、自分が学びたいことをしっかり学べる場所へ行くために、途中でちゃんと自分で調べてボストンにある大学に編入し直したんです。

―それだけ苦労して学ばれた中で、グラフィックデザイナーの仕事ではなく、イラストレーターを目指したのはなぜですか?

リーマンショックの直後で、アメリカ人を先に雇うアメリカ人ファースト政策というのが打たれてしまったので、アメリカでの就職は難しいだろうと思って帰国しました。ところが日本もそのあおりで就職活動をしてもうまくいかず、当然、生活費もかかるので、CM制作会社でアシスタント職として働きながら就活をしました。

ただ、就活に失敗したことは悪いことばかりではありませんでした。美大出身の方と面接で一緒になって、自分の能力のなさを痛感したことで、デッサン教室で学ぼうと思ったので、今から考えると就活の失敗こそがイラストレーターになるきっかけでした。

その後、無事に就職先が決まって、最初はラグジュアリーブランドを扱うアパレルの会社でWebのバナーやルックブックを作る仕事をしました。時間をかけて作られたオートクチュール系の物を扱う会社で、商品そのものは時間をかけられて丁寧に作られているのですが、私はというといつも締め切りに追われるような生活で。週末にデッサン教室に行って絵を描くのが唯一の癒しでした。

私は、デザイナーのストーリーやプロセスも含めて何カ月もかけて丁寧に作られる物が好きでファッションの仕事に就きたいと思っていたので、丁寧な物作りがしたいという思いが日増しに強くなりましたね。当時はイラストレーターになりたいなという憧れはあったけれども、スキル的に無理だと諦めていたし、イラストレーターとして生きるのは難しいだろうと思っていました。すごく安定志向だったんです。

世界を相手に活躍するイラストレーターに触発されて、夢が確信に変わった

―そこからイラストレーターとして独立しようと思うことに不安はなかったですか?

実はその前にもう一つ仕事を経験しているんですね。次のステップとしてアートディレクターになるという夢があったのですが、アパレルの会社では時間がかかるし受け入れてもらえないだろうと思ったので、転職してIT系企業のアートディレクターになりました。

入社して3ヵ月のときに、マニラの駐在員としてクリエイティブ部を立ち上げるのが任務となって。ソーシャルゲームのアプリを作る会社なので、クリエイティブ部といっても、いろいろなタイプのデザイナーが所属する部署を作らなくてはいけません。

アートディレクターと言えど、立ち上げ業務なので、現地採用の仕事やワークフローの仕組みを作ったり、仕事は多岐に渡りました。そんなある日、現地にいるフィリピン人の女性が面接に来てくれて、すごいなと思ったのが、彼女はフィリピンにいながらイラストレーターとして、アメリカの大手企業と仕事をしていて。結局、私がいた会社とはご縁がなかったのですが、彼女の前衛的な働き方を見て、自分がなりたかった夢を思い出しました。マニラの仕事がひと区切りしたら、私もイラストレーターになろうと思うようになりました。

私が当時いたのは、マニラの中でもIT企業が進出しているエリアに住んでいました。会社から歩いて10分の距離に住んでいたので、16時間働いて、シャワー浴びて寝るような生活で。時間に追われる感じが好きではなくて、もやもやする気持ちは絵を描くことで昇華していました。

―そんな忙しい生活から、いつ頃イラストレーターに転身したのでしょう?

27歳の終わりかけにマニラから戻ってきたので、28歳になる瞬間ぐらいにイラストレーターに転身しました。30歳まではやりたいことに挑戦して、難しければまた会社員に戻ろうと期間限定的に始めた感じです。

当時はインスタが始まったばかりの頃で、イラストレーターになる方法を調べてもあまり情報が出てこなかったんですけど、唯一出てきたイラストレーターの方のブログで、ポートフォリオを作って営業するというシンプルなやり方が書いてあって。

インスタを使ってもよかったんですけど、私は人とつながりを大事にしたいと思ったので、人に会うようにしようとポートフォリオを作って、イベントや人と会うときに必ず持参して「イラストレーターをやっています!」といって出したり、編集部に電話をかけて売り込んだりもしました。そのときは、9ヵ月間、無職でしたね。

アメリカにいたときは、自分のクリエイティビティを広げられている感覚があったのですが、帰国して社会人になってからは、感受性が強いのを閉じ込めることがクセになっていたんです。だから、いざ自由になっていいとなったときに、どうしていいのかわかりませんでした。

それを打破して学生の頃の気持ちを取り戻そうと、ボストンのときにお世話になった教授がイタリアでタイポグラフィのサマースクールを開講していたので、1ヵ月ほどイタリアに行ったりしていましたね。

ブランドが大切している見えないストーリーを大切にする

―今回、オラクルカードのイラストを描くときにどんなことを意識されましたか?

ブランドが大切にしている哲学が「自分らしく」なので、それを自問しながら描きました。あと、日本社会だと、宗教や政治の話って、タブーなことは触れてはいけないのかな、とどこかでストッパーがかかってしまっていたんですけど。この仕事を通して自分の意見を発信してもいいんだよって肯定してくださった気がして、そこから、自分の気持ちをインスタでも頻繁に発信するようになったので、とても勇気づけられましたね。

―作品を生み出す中で、大事にしている譲れない部分があればお聞かせください

人の手で作られた温かみのあるものづくりはやはり譲れないですね。自分がテクノロジーとアナログをミックスさせてどのような表現ができるかを研究しているから余計にそう思うのかもしれませんが、きっと未来はデジタルアートが主流になっていって、手描きのものがどんどんなくなってしまうのではないかという危機感があって。手で書かれた手紙とか、手作りの料理など、愛情が込められた物が自分の心に響くんです。デジタルアートを否定はしませんが、手描きの良さも忘れないでほしいと思っています。

―福田さんがハイブリッドの作品も手掛けられているのは、どちらの思いもつないでいきたいからですか?

そうですね。私の作品は手作業でレトロなスタイルだけれども、テクノロジーを融合させることによって未来に手描きの良さを伝えていきたいです。あと、私は紙が大好きなので、これからペーパーレスになっていく中で、未来にも紙を使った表現を残していきたくて。そうなったときに、AR(拡張現実)と紙のハイブリッドな表現をしたら、未来にも受け入れられるのではないかなと。自分はその橋渡し的な使命を感じて制作をしています。

―自分を愛すること、自分らしくいることって、日本人は難しく感じる方も多いと思うので、福田さんが日頃やられていることがあれば教えてください。

私、日記をつけるのが大好きなんですよ。自分の気持ちを必ずメモするようにしていて。私はイラストを描くときに、モチーフに意味を込めていて、日記がインスピレーションの元になっています。デート最悪だったみたいなことも含めて何でも書いちゃうんですけど(笑)。自分の失敗やもやもやした気持ちを書いて、自分の心を整理するんです。同じ悩みをもっている人がきっといるから、どうやったら元気づけられるかなというアプローチで制作しているんですけど、どんなことでもマイナスとプラスがあるので、プラマイゼロになったらいいなと思いながら生きているし、自分の気持ちを表現することは自分の心を癒やすことができます。

例えば、今回のオラクルカードだと、ストーリーをいただいてから、連想するモチーフを描きます。モノに宿っている意味合いや自分の思いを合わせてイラストに乗せるイメージです。ファンタジーっぽい、空想っぽいのは、自分の気持ちをメモしたときにイメージが降りて来たもので、文字が先行していて、降りて来る感じですね。ビジュアルが先に浮かぶときもあります。イラストを描くだけではなくて、その背景にあるストーリー作りも大切にしているので、これからも丁寧な作品づくりをしていきたいです。

着用アイテム

PROFILE
福田愛子
イラストレーター & アーティスト。
1986年生まれ。ブリッジウォーター州立大学芸術学部グラフィックデザイン学科卒業。帰国後企業のインハウスグラフィックデザイナーとしてキャリアをスタートさせる。その後IT企業のアートディレクター・マニラ駐在員と激動の4年間を過ごし退社、イラストレーターとして自身の未知なる挑戦と人生の冒険に舵を切った。幼少時代からファッションに興味を持ち、母や姉から譲り受けた洋服たちを自分流にアレンジして着るのが好きな子どもだった。ものに宿る「世代を超えたタイムレスな美」の価値観が、後にアーティストとして生きる彼女のクリエイションの基盤となる。近年ではAR(拡張現実)を導入し、イラストとテクノロジーを融合させた表現方法を追求中。現在は東京と海外の2拠点で活動し、2018年にニューヨークで初個展、2019年には日本人で初めての「アドビクリエイティブレジデント」に選出された。また最近ではAdobe Aeroを駆使したAR作品「AR VIRTUAL GARDEN」が DESGIN TREND 2021に選ばれている。
HP :https://www.aikofukuda.com/

一覧に戻る