とんだ林 蘭 「個性は他人との比較からではなく、自分の中から生まれる」

とんだ林 蘭 「個性は他人との比較からではなく、自分の中から生まれる」

自分を愛するのは難しい。でも、自分自身の内なる価値に気づけていないだけだとしたら?ひとりひとりがスペシャルな存在。
VERMILLIONのコンセプトである”IDENTIFY JEWELRY”を体現する、自分を表現して生きる人へのインタビュー。

コラージュ、イラスト、ぺインティング、立体、映像など、メディアにとらわれない表現方法で、一度見たら忘れられないような、独創的なアート作品を発表し続けるとんだ林蘭さん。ミュージックアルバムのCDジャケットやイベントグッズ、ファッションブランドへの作品提供など、多方面で精力的に活躍されていますが、アート業界に足を踏み入れたのは意外にも25歳からだといいます。どのようにしてアート活動を開始し、今の表現方法に辿り着いたのか。とんだ林さんの体験を通して、自分らしく生きるとは何かを探っていきます。

人との出会いが大きなターニングポイントになった

アートの道に進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

実は最初に目指したのは漫画家でした。始めようと思ったきっかけも、子どもの頃から漫画が大好きで、絵を描くのが楽しかったからです。25歳になっていきなりスタートして、周りに同業者もいなかったので、どうすれば仕事をもらえるのかも全くわかりませんでした。とりあえず描きたい、作りたいという意欲に燃えていたので、30代で仕事ができていればいいやと楽観的に考えていました。ただ、肝心の漫画の方は、最初の2作品を描いて挫折しましたね。

そこからイラストの方に転向しました。ちょうどその頃が周りの友だちがインスタを始めた時期で、描いたイラストを見てもらいやすいかなと思って私も始めて、その時のアカウントで10年ぐらい続けています。

メジャーな方々とお仕事を多くされていますが、CDジャケットのディレクションなどどうやって今のお仕事をするようになったのですか?

とんだ林蘭の名づけ親になってくれたミュージシャンの池田貴史さんには、浅草に住んでいたときに出会いました。当時、浅草に住んでいたときに、すごく面白い洋服屋さんがあって、20代前半は夢中になって通っていました。

店主も集まる人も置いてあるものもとにかく面白くて、そこで池ちゃん(池田貴史さん)やCDのジャケットの仕事をもらうきっかけとなったディレクターさんに出会ったんです。ミュージシャンやデザイナー、小説家の方などいろんな職種の面白い方々が集まっている、大人の遊び場のような所でした。

当時、私は週5くらいで通っていました。店主さんやそこで出会ったお客さんたちと、一緒にご飯を食べたりトランプしたりするような関係でした。お酒を全く飲まない人たちだったので、学校の放課後みたいな雰囲気で遊んでいましたね。

今は移転してしまったのですが、当時はお店が地下にあって、ドラムを叩いたり、アンプで音出ししたりしていて、とても特殊で貴重な環境だったと思います。そういう繋がりがあって、私が絵を始めたのも集まる人たちは知ってくれていました。池ちゃんならきっと面白い名前をつけてくれるだろう、とお願いして「とんだ林蘭」の名前をもらいました。

まだその頃は漫画家になりたかったので、まさかCDジャケットを作るとは予想もしていませんでした。アートディレクションという言葉すら知らない中で、たまたまインスタの作品を見た知り合いが、CDジャケットできそうじゃない?と声をかけてくれて、今のお仕事を始めることになりました。

経験値の高い人に頼って、そこから学ばせてもらうスタイル

多彩な表現をおもちですが、技術的なことはどうやって学ばれてきたのでしょう?

私は学校で学んだわけではなく完全に独学なので、技術的な面で一般的にはこうやるということがわかりません。今でも経験値の高い人に助けてもらうことが多いです。

当時はアートディレクションという言葉自体、知らないところからスタートでした。CDジャケットのお仕事を初めてもらったときも、インスタに載せているようなインスタントな雰囲気の写真がいいと言われて、カメラを借りて自分で撮影したんです。とても楽しい撮影だったのですが、ポスター用にジャケットの写真を使ったら画素数が足りないみたいなことがあって、今考えると恐ろしいことをしていたなと思います(苦笑)。2回目からは素直にプロの方にしました。

初めは知り合いから声をかけていただくことが多かったのですが、徐々にお会いしたことのない方からもお仕事をいただけるようになりました。色々な案件をやる中で、制作の幅はとても広がりましたが、今でも広告のことは勉強になることばかりです。

シュールでダークな世界観がとんだ林さんの作品の特長だと思うのですが、小さい頃はどんなお子さんだったのでしょう?

子どもの頃はりぼんっ子(漫画雑誌のりぼんを愛読している読者のこと)で、影響されたのはさくらももこ先生です。子どもの頃からノートに漫画やイラストを描くことは割としていました。

「ほのぼの劇場」というさくらももこ先生の実体験が描かれたシリーズがあって、その中に漫画家になるきっかけが描かれていたのですが、こんなに有名な漫画家の方でも、最初はなれるかなって思っていた時期があったんだ…ということを知って励まされましたね。好きなことをやった方がいいと描かれたその本に、ずっと背中を押されている感じです。

どのようにアート活動の場を広げてきたのですか?

初めての個展は、洋服屋さんでやりました。私の友だちやお店のお客さんが来てくれるような感じだったので、身内にこういう表現を始めたよと知ってもらうきっかけにはなりましたが、たくさんの方に見てもらうというものではなかったんです。ギャラリーで開催したのは何年か経ってからですね。

ちょうどコラージュを始めてインスタに載せていたら、中目黒にギャラリーを出すという方から出展しませんか、と声をかけていただいて、それが転機となりました。そこから、徐々に知ってくれる人が増えていった形です。顔は知らなくても名前は聞いたことありますって言ってくれる人も多くて、最初は「とんだ林蘭」って意味がわからない名前だなと思っていたけれど、覚えやすくていい名前だなと今では思います(笑)。

自然体で過ごす日常の中から作品が生まれる

インスピレーションの源泉となる、作品づくりに欠かせないものは何かありますか?

コスパいい方だと思うんですよ、紙とペンがあれば作れてしまうので(笑)。インスピレーションを得るために旅行に行こうとか散歩しなければ浮かばないとかもなくて。締切に合わせたいから、今日やるぞ!とノートに紙とペンで描くのですが、パッと出るときもあれば、ずっと考えて絞り出すときもあります。私の場合は毎日が楽しくないと楽しいことが浮かばないタイプなので、精神的に安定していることが大切かもしれないですね。

好きなモチーフは食べ物やお花、化粧品とか女性の身体で、今では自分の好みがわかっているのですが、初期の頃は無意識で選んでいて、コラージュを見返して初めて自分はこういうのが好きなのだとわかりました。

コラージュを始めたのも、アニメーション作家のヤン・シュヴァンクマイエルの短い映像をYouTubeで見てかっこいいと思ったのがきっかけです。作品はゼロから全部自分で考えていくので、ここに何色があったら可愛いかのヒントを得るために、インテリアや建築の写真でデザインや色の組み合わせを参考にしています。

とんだ林さんのように自分らしい道を進むために意識すべきことはありますか?

私は楽観的なので、本当にやりたかったら実現できると考えています。今は本当にやりたいという熱量さえあれば、SNSなどを活用して叶えることができる時代です。ただ、イラストレーターになりたいということよりも、イラストが描きたいという気持ちの方が大事だと思っています。強い気持ちがあれば、ずっと描き続けられますし、逆に続かないのならば、熱量がそこまでなかったということ。

私も飽きっぽいからイラストやったりコラージュやったりしているけれど、何かを作るということはずっと続けています。自分の性格や性質に合ったやり方でやっていければ、道は開けるのではないかと思います。

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-Profile-

とんだ林蘭(Tondabayashi Ran)

1987年生まれ、東京を拠点に活動。

コラージュ、イラスト、ぺインティング、立体、映像など、幅広い手法を用いて作品を制作する。猟奇的でいて可愛らしく、刺激的な表現を得意とし、名付け親である池田貴史(レキシ)をはじめ、幅広い世代の様々な分野から支持を得ている。木村カエラ、東京スカパラダイスオーケストラなどの音楽アーティストや、MIHARAYASUHIROなどのファッションブランドへも作品提供を行うなど、精力的に活動の場を広げている。

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